京都地方裁判所 昭和46年(わ)473号 判決 1972年3月29日
主文
被告人を懲役参年六月に処する。押収してある小刀一本(昭和四六年押第八六号の4)はこれを没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、遠藤睦雄と縫子との間に長男として生育し、京都市立塔南高等学校を卒業後、昭和四四年四月関西外国語大学に入学し、肩書住居から通学していたものであるが、同四六年五月一〇日午前一〇時三〇分ころ大学に行くべく京都市南区西九条南田町地先を通りかかつた折、たまたま同町一丁目三番地所在の日本住宅公団九条アパートを認めるや、当時小遺銭に窮していたので、同アパートの適当な住宅を物色したうえ、かねて思い廻らしていたように人から金員を強取しようと企て、直ちに同アパートの六階に赴き、六二五号室の服部貞夫方のブザーを鳴らしたが、応待に出る気配がないため、その左隣り六二六号室の石田勲方のブザーを鳴らしたところ、同人の妻郁子(当三〇年)がドアを半開きにして応待に出たので、所持していた福徳相互銀行の行員の肩書が記入してある父睦雄名義の名前を差し出して、恰も銀行から右服部貞夫方の信用調査にきたもののように装い、右郁子と話を交わしながらそれとなく同女方室内の様子を窺い、なお同家に押入る決意がつかないままにひとまずその場から立ち去つたが、同家には右郁子のほか長女環(当時一年)しかいない様子なのを奇貨として、同日午前一〇時五〇分ころ、再度右石田方に赴きブザーを鳴らして来訪を知らせ、右郁子がドアを開けて応待に出た際、折から室内の幼女環が泣きだしたため、同女が幼女の方へ引き返した隙に乗じて、靴ばきのまま同室内に上り込み、やにわに同女の後から左手でその口を押え、右手に所携の小刀(昭和四六年押第八六号の4)を持つて同女の首筋に突きつけたうえ、「大きな声を出したら殺すぞ。殺されてもいいのか」などと申し向け、更に同女を奥四畳半の間に押込め、手で同女の首を締めるなどしながら「金を出せ」と申し向け、右手に前記小刀を持つたまま、暴れる同女を手で押えつけ、その反抗を抑圧して同女から現金五、〇〇〇円を強取したが、その際、同女に対して、通院加療約七日間を要する左手掌切創、左第一指切傷の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第二四〇条前段に該当するので、その所定刑中有期懲役刑を選択し、なお犯情を考慮して、同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽した刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、押収してある小刀一本(昭和四六年押第八六号の4)は判示強盗致傷の用に供した物で、被告人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号、第二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して、全部被告人に負担させない。
(弁護人の主張に対する判断)
一、弁護人は、被告人は類破瓜気質であつて、本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであると主張する。
そこで、諸般の証拠を総合するに、被告人の本件犯行に及んだ経緯、動機、犯行の態様等はおよそさきに認定したとおりであり、また、被告人が、本件犯行直後殊更迂回して帰宅し、かつ、その途中判示小刀と鞘を野つぼの中に捨てて、罪証の隠滅をはかるなどしたことが認められるのであつて、これらの事情に、被告人の当公判廷における供述態度、その他被告人の精神作用等を照らし合わせて考察すると、被告人は、以前から類破瓜気質を帯び、そのことから、通常人に比べるとその道徳感情の発達がやや遅れ、自己の行為が反社会的なものということを認識しながら、これを抑止する能力において幾分劣つていることが推認されるのであるが、被告人の本件犯行の際における前記一連の言動等を具に観察すると、その心情や行動は通常人のそれとさほど異なるところがあるとは思えず、したがつて、その当時、被告人は事理の是非善悪を弁識し、またはその弁識に従つて行動する能力が著しく減退していたような精神状態にはなつていなかつたものと認めるのが相当である。
弁護人の主張は採用しない。
二、弁護人は、被告人は母縫子を介して本件犯行を警察官に申告し処分を求めたのであるから、右は自首に該当すると主張する。
おもうに、刑法第四二条第一項にいわゆる自首とは、犯人が罪を犯し未だ官に発覚しない前に、自発的に自己の犯罪事実を捜査機関(検察官または司法警察員)に申告してその訴追を求めることをを云うものであつて、その申告は、犯人自身が直接すると他人を介するとを問わないものと解すべきである。そして、犯人が他人を介してする場合は、犯人が自発的に自己の犯罪事実を捜査機関に申告して、その訴追を求める意思を有していることは勿論、右の申告について、犯人と他人との間に意思の連絡が認められ、他人が犯人に代つてその犯罪事実を捜査機関に申告することのほか、犯人がいつでも捜査機関の支配内に入る態勢にあることを要し、これらの要件がそなわれば、すなわち他人を介してなした有効な自首と解して妨げないものというべきである。
これを本件についてみるに、関係証拠を総合すると、判示日時における本件強盗の犯人が被告人であることが、未だ捜査機関に発覚しない以前と推認される同日午後七時過ぎころ、被告人の母縫子が、さきに九条警察署に出頭した被告人の父睦雄をたずねて行つた際、同署の警察官に対し、本件強盗犯人は被告人である旨申述したことが認められ、他方、被告人が、縫子に問いただされて自己が右の犯人である旨告白して以後、縫子が九条警察署に睦雄をたずねて行つた際右のような申述をして一旦帰宅し、更に被告人を連れて同署に出頭するまでの間、被告人は、引き続き肩書自宅の一室に留つていたことが認められるのであるが、その際における被告人親子の対話等を比照してみても、当時被告人において、自発的に自己の本件犯罪事実を捜査機関に申告する意思があつたものとはとうてい認められない。また被告人と縫子との間に、同女のなした右のような申述について何ら意思の連絡があつたものとの推測もできない。むしろ、縫子が九条警察署に赴いた際前記のような申述をするに至つたのは、睦雄が被告人の言動に対して半信半疑の念を抱きながら九条警察署に出頭した後、被告人が、縫子に問いただされて自己の犯行である旨告白したので、縫子は、まず睦雄にその旨を伝え同人を呼び戻して相談しようと考え、被告人に対しては家で待つているように云い残して同署に赴いたが、睦雄と会うことができないため、思案に余つて、応待してくれた同署の警察官に右のような申述をしたものであることが認められ、したがつて、その申述は縫子の独自の発意にかかり、そのことについて被告人との間に何ら意思の連絡はなく、被告人に代つてなしたものとは認められないのである。かようにみると、縫子が九条警察署の警察官に対してなした前記のような申述は、前掲の他人を介して申告する場合の自首の要件を欠如していることが明らかであるから、被告人が縫子を介してなした自首には当らないものといわなければならない。」
弁護人の主張は採用しない。
よつて主文のとおり判決する。
(橋本盛三郎 田中明生 松本信弘)